飯山の獅子舞

 

  飯山の獅子舞は、鎮守府将軍藤原利仁にちなむものであると伝えられている。
  
延喜年間(901~922)藤原利仁は、近隣を荒らしまわる山賊の頭目蔵宗・蔵安兄弟を高座山でついとうした。里人たちは,利仁をおおいに崇め慕ったが、病にかかり飯山の地で永眠してしまった。
  藤原利仁の死を悲しんだ飯山の人々は,利仁の守り神の三尊神獅子の頭を奉納すると共に、毎年阿蘇神社に獅子舞を奉納したと伝えられる。

                  (宇都宮市指定無形文化財)

 

  

 飯山の獅子舞は、天下一関白流と称し、地区の青年によって伝承され毎年八月十五日阿蘇神社に奉納される。
  
戦前は、お盆の十五~十七日まで夜通し町内をねり歩き、非常に賑やかであった。「ニンギョウジ(人形地)」と呼ばれる若者の代表(世話人)を中心に祭りが行われた。
  
上演される舞は、一人立三匹獅子舞で行われ、この舞は、神楽舞弓くぐりの舞本庭の舞の三節からなり、この獅子舞の前技として棒の舞も行われる。その他の付きものとしては、ヒョットコ踊りも行われその道化ぶりを発揮する。

  飯山町全体が飯山獅子舞保存会として保存に係わっている。